【WG1042】倫理学B2単位目レポート

倫理学B 2単位目 レポート 明星大学レポート

どうもさんぴんちゃです。

私が実際に提出して合格した「倫理学B2単位目レポート」をご紹介するので、苦戦している人は参考にしてみてください。

丸写しすると当たり前のように不合格となりますので、使えるところは部分的に使って、後はオリジナルを追加して下さい。笑

それではどうぞ。

【WG1042】倫理学B2単位目レポート

レポート

課題

1.慈善とは何か。「義務」という言葉の様々な意味に考慮しつつ自らの立場を論述せよ。

課題1

私たち人間は、自らの利益にならない行動をする事がある。それを「ボランティア」や「慈善活動」と呼ぶ。助け合いや慈悲の心から行なっている行動であるが、こうした慈善は、「義務」であると言えるのだろうか。

私たちが普段使う意味での「義務」とは、「一人一人が必ず行うべき事柄や、当然果たすべき務め、法律によって人に課せられる拘束」である。しかし、義務には2種類あり、上記のような義務のことを「完全義務」と言い、カントによれば「傾向性の利益のための例外を許さない義務」である。つまり、どんな事情があろうとも必ず絶対に果たすべきものと定義している。完全義務の例としては人を殺してはならない事(自分自身も含む)や、親が子供に暴力を振ってはならない事等、主に法律で定められているものである。義務は権利と対応しており、義務を果たしている者には権利が保障される。しかし、義務を果たさないと誰かの権利が侵害され、「悪者」として扱われる。また、自分自身の権利も保障されることはない。こうした権利を保障するのが警察という機関だ。

もう1つの義務は「不完全義務」である。不完全義務は「しなければならないわけではないが、した方が望ましい義務」の事だ。これが私たちの言うボランティアや慈善活動にあたる。完全義務とは違い、権利と対応していないため、果たさずとも悪者扱いされることもなければ、誰かの権利を侵害することもない。その為、強要されることもない。

しかし、しなければならないわけではないからと言って、一度も不完全義務を果たさないのは悪いのではないかと言う考え方もある。こうした考えから、シューメーカーは不完全義務を「不確定義務」とした。不確定義務は、いつ行うかは確定していないが、いつかはやるべき事だ。そして、それを行わないことは悪いことであるとする考え方である。

こうして見ると、慈善は不完全義務に含まれるので、義務だといえる。慈善とはチャリティーであり、その本質は「愛」である。私が考える愛とは、人間の本能的な気持ちから生まれるものである。慈善を行わないということは、愛のある行動が出来ないという事であり、それは「悪者」としても扱われるのではないだろうか。しかし、自分の家族でも知り合いでもない他者に対しての愛は、また話が別だ。自身に対しての利益がないのであれば、大半の人はこの不完全義務を果たすことは無いだろう。ある種、自分の生活や自由の権利を犠牲にして行うのだから、生命活動を行うヒトとして、「利益にならない事はしない」と言うのは当たり前だ。こうしたヒトとしての本質から見ると、慈善を不確定義務と呼ぶのは少し厳しい考え方だと私は考える。他者に対して手を差し伸べても、自身の生活に支障が出ない人が行うもので、無理をしてまで果たすべきものではないのでは無いだろうか。それ故に、シューメーカーが提唱している、不確定義務という考え方はあまり賛同できない。

慈善は、自身の負担が大きい慈善と小さい慈善の2種類に分けられるのでは無いだろうか。負担が大きい慈善(被災地支援等)と、負担の小さい慈善(募金等)だ。仮にこれらを不完全義務だとすると、負担の小さい慈善は、ある程度の人は果たすことができるだろう。しかし負担の大きい義務は、「やらなくても良い」という考えから、この義務を果たす人はごく少数になってしまう。もし不確定義務という考え方を持つことが出来れば、慈善活動への自身の意欲や心持ちが前向きに変わるだろう。心の縛りとしての義務が重みを持ち、不完全義務として扱われる慈善への参加率が上がり、結果として全体の幸福度が上がるのでは無いだろうか。

こうした慈善の根底にあるものは、やはり「人助けの精神」である。慈善とは呼べないような小さな人助けであっても、自身の利益をまず考えるのではなく、「行うべき」という心持ちで臨みたい。そして、私自ら義務を果たすためにも、慈善活動を積極的に取り組んでいきたいと考える。

参考文献 『愛と正義の構造ー倫理の人間学的基盤ー』
ミリャード・シューメーカー著
加藤尚武・松川俊夫 訳
(晃洋書店、2001)

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